ロシアの侵略をどうすれば終わらせるか、今世界の熱い焦点です。「自由主義陣営」対「専制主義」と云う図式、価値観の違いを、闘いの方向にして行こうとする動きがあります。しかし、これは、どちらの価値観が良いか、その基準は何か、などお互いの共通理解は存在しません。謂わば、ヨーロッパ流の価値観、即ち、専制主義から民主主義へと苦闘の歴史を経験し、民主主義を勝ち取り、それを基に「価値観外交」まで行おうとしているのに対して、専制主義克服への苦闘の歴史の中にある国々もある筈です。
世界は「価値観外交」で分断されています。過去にも、世界戦争の火種になった、互いに和解できない分断、壁がありました。戦争国はそれぞれ自らの正当性を主張します。分断が存在するとき、その主張は、自己主張の域を出ず、言論によって解決できないのです。そこで、軍事力が使われ、軍事対軍事による解決ーー人命と国土の破壊・殺戮が平然と、超法規的に行われたのです。
ロシアのウクライナ侵略を止めさせるのは、ロシアも含め世界が認めた国連憲章を基にした解決しかないのです。第2次大戦後すべての国が国連に参加して決めた、「不戦条約」「人道法」等国際規範こそ、その力を発揮すべき時です。逆に、「自由主義陣営」とか「価値観外交」は、戦争終結に無力なのです。
今回、ロシアへの経済制裁等に日本共産党が賛成したことで、志位委員長へのロシア入国禁止措置が発表されました。これに対して志位委員長は、直ちに「国連憲章、国際法に基づくロシア批判を『西側に偏った』と誹謗中傷した」と、その不当性を批判しました。
ロシアの侵略を止めさせるのは「国連憲章と国際法を守れ」の立場で多くの国々の賛同を得て国際世論を強め、停戦・ロシア撤退へと世界の国が追い詰めて行くことではないでしょうか。
ウクライナへのロシアによる武力威嚇・攻撃・侵略戦争を止めさせることは、核兵器廃絶と共に、武力威嚇・攻撃・侵略戦争を廃絶する世界への道ではないでしょうか。この道は、第1次、第2次世界大戦を通じ、特に、第2次大戦後創られた国連及びその下で、仮想敵を持たない、すべての加盟国間の「集団安全保障」をうたった国連憲章が目指すものです。
どんな理由(しばしば自衛の名が冠せられる)であれ、武力行使による他国の主権侵害は国連憲章違反です。ロシアがウクライナを「兄弟国」とか「旧ソ連邦」とか言っても、武力でそれを押付けることは国連憲章違反であり、旧ソ連のスターリンやロシア帝国時代に現れた覇権主義以外の何物でもありません。
ウクライナへの侵略戦争が2カ月を超えました。国連発表で、500万人国外避難、国内避難710万人、ウクライナの4分の1以上が避難民となり、これを知った世界の人々から「ロシアは侵略戦争止めよ」の声が強まることはあっても、弱まることはありません。民間人の被害を減らすために「ウクライナは抵抗を止めたら」と云う声が出ています。しかし、ロシアの横暴を許したら次の標的はどの国か、と戦々恐々の周辺諸国にとって、ウクライナの闘いは、自分たちの戦いでもある、と感じているのです。
日本では、自民・公明に加え、維新、国民民主が翼賛政治を強めています。国連は無力、日本は憲法9条を変え軍事力を増やし敵基地攻撃能力を持て、と大合唱を始めました。ゼレンスキーウクライナ大統領がオンライン国会演説で述べたのは、アジアで最初に支援を表明したこと、プーチンロシア大統領の核兵器使用恫喝に対し、原発事故のチェルノブイリが立地するウクライナと、福島原発事故を体験し戦争被爆国の日本との、共通する核兵器使用への強い抵抗感ではなかったでしょうか。
また、日本にとって、ロシアとは領土問題等を抱えており、ウクライナは他人事でない面があります。「北方領土」と云われる歯舞・色丹・国後・択捉4島を含め全千島が国際条約による日本領土であるにも拘らず、旧ソ連スターリンの覇権主義によりロシアが実効支配しています。この度、日本がウクライナ支援したことに反発したロシアが歯舞・色丹への旧島民墓参入島を禁止しました。また、ロシア軍用艦が、公海と規定された津軽海峡を通って、日本列島横断を平然と行っています。これは、無断・非公表でアメリカ原潜通過を可能にしてきた、アメリカ覇権主義の遺構なのです。こうした千島問題、津軽海峡公海化など、第2次大戦戦後処理でのカイロ宣言「戦勝国領土拡張しない」違反の歴史の是正が後世に残されています。
今こそ平和の国際秩序づくりを目指し、仮想敵をもたない、包括的安全保障体制を、ロシア、中国、米国等を含む東アジアサミットの延長線に構築して行く時ではないでしょうか。アメリカ覇権主義のベトナム戦争では、軍事対決した東南アジア諸国がその後東南アジア友好協力機構「アセアン」を結成し、毎日3か所以上の会議まで行って、紛争を戦争にしないよう取組んでいます。
日本軍国主義が80年前までやってきたことが、ロシアのウクライナ侵略戦争で再現されているのではないでしょうか。覇権主義で軍事力行使した日本、それに抵抗した朝鮮・中国、アジア太平洋地域の人々、ロシアが侵略戦争を止め、ウクライナを世界が助ける、ウクライナの犠牲的闘いがその結果を生み出すよう、力を合わせましょう。
「ロシアのウクライナ侵略戦争を止めさせ、ウクライナを助けよう」これは今世界の人々の声であり、日本のすべての政党、自治体を含む国の総意になっています。その根底には、かつて100年前の日本が行なった、朝鮮・中国・東南アジア・アメリカに対する侵略戦争の反省があります。日本、ドイツ、イタリアが軍事同盟を結んで、第2次世界大戦へと拡大しましたが、アメリカによる、素粒子論の軍事転用、原爆の製造と日本への投下を経、未曽有の惨禍を与えて終戦となりました。
第1次、第2次の世界大戦の教訓から導かれたのが、不戦条約が示す戦争の違法化であり、紛争の平和交渉を義務付け、軍事力行使を禁止した国連憲章をもち、国際司法裁判所が設置されています。更に、戦闘中であっても非人道的な殺戮を「人道の罪」として罰する「国際人道法」が制定されています。
日本は、国連憲章と同じ根源の〝戦争放棄”憲法を制定しましたが、日米軍事同盟を結び自衛隊を備え、安保法制の閣議決定により海外派兵が狙われ、「2度と戦争はしない」の国民的願いは大きく踏みにじられようとしています。自民党安倍元首相や維新の会は、ロシアや中国、北朝鮮の軍事的脅威への対抗と称して、日米軍事同盟での「核共有」まで議論し始めました。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、これからの日本を巡り「戦争か平和か」を鋭く問う情勢を造り出しました。日本の侵略戦争に反対し、アジアの国々と平和友好を訴えたのが日本共産党です。戦後の憲法制定議会で、吉田茂首相は「戦争は自衛のためと称して行われた。軍隊をもってはならない」と答弁しました。日本共産党は、反戦平和の立場から、自衛権は認められなければならないと主張しました。
ウクライナは、自衛のために大きな犠牲を払って闘っています。ロシアによる国連憲章・人道法違反を戦闘現場から告発し、国際世論を喚起し、ロシアを平和交渉のテーブルにつかせる重要な取組を行っています。ウクライナの闘いは、ロシアのような常任理事国が拒否権発動で国連憲章違反を犯したことを糾弾し、平和の世界秩序づくりに国連の役割発揮を求めるものです。この大義に絶賛を惜しむ人はいない筈です。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、人道危機と共に、食糧危機をもたらしています。ウクライナがロシア軍の爆撃下で小麦生産が困難になり、アフリカなどの食糧危機を招いていると伝えられています。戦争は命を奪い、建物・道路等を破壊し、自然を壊すので、食糧生産を失わせます。
日本も敗戦後、食糧難時代が数年続きました。その時、農漁業が全国民の命を救い、経済を復興させる原動力となりました。農林漁業は儲かる、儲からないでなく、生存に必須のもので、国の基幹産業としての保護政策が不可欠なのです。しかし現代は、すべて儲けのための生産・流通が主流となり、儲からないものは社会から切り捨てられる、新自由主義政治・経済になっています。
日本では、中山間地を中心に日本列島の広範囲に亘って、耕作放棄地、空き家が拡大を続け、止まりません。住宅地でも、かつての大団地が、高齢者居住地となり、空き家が増え、交通・買物不便が増大しています。日本列島の自然と人間生活とが、格差と破壊に晒され、政治も経済も為す術が無いように見えます。
食糧危機、人道危機を見つめ、そこからの脱却を図る、政治経済を今こそ、本気で追及しなければなりません。侵略戦争を一日も早く終わらせ、人道危機を克服する、食糧危機脱却を図る、これこそ政治経済の最重点課題ではないでしょうか。
ロシアへの侵略戦争でウクライナ国民の被害・犠牲者が増え続けています。1日も早く、停戦・ロシア撤退を実現しなければなりません。マスコミには、軍事専門家なる者が登場し情勢分析など語ったり、安倍元首相や維新の会などは「アメリカの核兵器を共有」を持ち出し、ロシア・中国脅威論を吹きまくっています。しかし、ロシアの侵略戦争停戦・ウクライナからの撤退をどう実現するか、については何も語れていません。
日本共産党は「国連憲章、国際法を守り、国際世論の包囲で侵略を止める」基本姿勢を打ち出し、それを各国に訴え、非軍事のウクライナ支援を呼びかけ、ウクライナ連帯の活動を強めています。日本の多くの国民も、国連の下、日本国憲法の下、ロシアの侵略に反対して闘っているのです。
今から80数年前の日本が、朝鮮侵略・日中戦争・太平洋戦争と、今のロシア軍と同じように、侵略戦争を拡大し第2次世界大戦へと猪突猛進しました。この戦争の反省から創られたのが、国際連合・国連憲章であり、日本国憲法です。それは、軍事力行使を禁じ、戦争を違法として糾弾し、話合い・外交解決を進めるものです。国際人道法も制定されており、今回ロシア軍による市民への虐殺行為が「人道の罪」にあたるかどうか、国連の調査活動が緊急議題となっています。
ロシアのウクライナ侵略戦争を終わらせるのは、国連に結集した世界各国の意志であり、憲章実行する国連への発展ーー常任理事国特権剥奪を含む国連改革ーーまで進む必要があります。世界平和を創るのは国連しかないーーこの人類の叡智を何としても実現させることが、ウクライナの苦難・犠牲に応える唯一の道ではないでしょうか。
ロシアのプーチン大統領がウクライナ領土内にミサイル攻撃や戦車部隊投入を始めました。それに対する人々の反応の最初は、今の時代にこんな野蛮なことがあってよいのか、あってはならない、と云うものでした。プーチンの言い分は「ウクライナがNTO軍事同盟に参加すればロシアへの脅威」として、ウクライナの主権を踏み躙ってロシアが一方的に併合した州等の軍隊と共に侵略戦争を始めたのです。
これに対して、ウクライナのゼレンスキー大統領は、徹底抗戦を宣言し、近隣のヨーロッパ諸国・世界に対して、軍事支援を含む支援を要請し、ロシアには即時停戦を呼びかけました。日本の国会でも大統領演説がオンラインで行われ、戦争被爆国であり福島原発事故を経験した日本には分かる筈と、チェルノブイリ原発事故跡地を占領したロシアの蛮行を厳しく告発しました。最も痛切な訴えは、各国主権・平和を守る事が出来るよう国連改革を、です。
日本では、自民党、維新などが「国連は無力」「日本の憲法は無力」などどして、軍備増強、日米軍事同盟での「核共有」を唱え出しているとき、「軍事力対軍事力」や「核抑止論」こそ破滅的戦争回避には「無力」あるいは「有害」ですらあります。闘いの真っただ中で平和の理想を見失わないゼレンスキー演説に深く感激し、ウクライナの闘いへの連帯・支援を誓うものです。
それにしても、ロシアがやっていることは、第2次世界大戦中に日本がやったことと同じです。曰く「満蒙は日本の生命線」として満州事変を起こし、非武装地帯をつくり、「満州国」傀儡政権をでっち上げ、続いて、華北、華中にも傀儡政権をつくりました。また、ロシアはウクライナを兄弟国と云い、ウクライナの領土を切り取り勝手にしようとしています。これも戦前の日本軍国主義が「五族協和」と云ったり、「大東亜共栄圏」と大風呂敷を広げた上「聖戦」をブチ上げる一方、国内は言論統制から治安維持法弾圧までの暗黒政治体制を強めました。
それまで第1次大戦後「不戦条約」が結ばれ、国際連盟が造られながら第2次大戦を阻止できなかった反省に立ち、第2次世界大戦の終結後、国連が造られ、各国主権の尊重を規定した国連憲章が制定され、また、日本の憲法にも「戦争放棄」の項目が入りました。「戦争の違法化」、戦争犯罪が規定され、惨禍を防ぐ取組みである、国連人権高等弁務官事務所などの機構が整備されました。
ウクライナ情勢はまだロシアの戦争が所を変えて狂暴化する面を残しながら、世界世論がロシアを追い詰め、ロシアの拒否権発動で常任理事国機能不全の中、「ロシア侵略の国連憲章違反決議」が国連加盟国193中141国(7割超)の賛成で決議されるなど、平和の取組が前進しています。
すべての国が、国連憲章違反との声を上げ、ロシア軍の停戦・撤退を実現しましょう。第2次大戦の反省に立った日本国憲法をもつ日本が、この平和実現に力を尽くすことこそ、2000万人を殺戮し、自らも310万人の犠牲を出した戦争責任の現代的課題です。これ以上、人類は戦争してはいけない、まして、核戦争で人類も地球の消滅させるようなことは絶対にいけない、核戦争を阻止することが人類最高の行為であり、それを世界の人々の連帯の力で成し遂げようではありませんか。
ウクライナへのロシアの侵略戦争にどう対応し、ウクライナ支援はをどうするのか、は現下の焦点です。ロシアの無法な軍事行動に対して、各国が義勇軍など送って対抗する、は19世紀まではあったことです。20世紀でも、ナチスドイツのスペイン・ゲルニカ空爆、フランコ内戦に、義勇軍が派遣されました。21世紀の今、戦争が世界に広がり、核兵器が使われれば、人類絶滅、地球絶滅が予測されます。
そこで出て来る唯一の道は、戦争を早期に終わらせることです。軍事力で破壊し尽したら、決着がつくのでしょうか。それは第2次大戦までの戦争であって、今日の戦争は、どこかで、侵略者側が軍事力優位であっても、止めざるを得なくる、とい決着しかありません。つまり、2度の世界戦争を経て、戦争が違法化され、国連が組織され紛争の平和解決を目指し、紛争を国連憲章の立場で解決する、国際司法裁判所での戦争遂行者への裁判を行う、これしか解決の道はない、と云うことです。
安倍元首相や維新の会が、国連は無能、日本の戦争放棄憲法は力が無い、と攻撃していますが、これ以外に、22世紀の国際政治の進む道はあるのでしょうか。彼らは、20世紀以前に戻って、軍事力で再び世界戦争を招くことを何とも思わないのでしょうか。
不戦条約、国連憲章、日本国憲法は、今や、恒久平和を希求する世界標準です。世界戦争の厳しい教訓から導き出された〝人類の宝″ではないでしょうか。これを守り実践する努力こそ今求められていると思います。
ウクライナの人たちを守りましょう。避難する人々に堰が手を差し伸べましょう。ロシアが、ウクライナの人たちを殺し、生活を奪おうとしても、それを上回る人道支援を行い、侵略者ロシアに「戦争止めよ」の人類の声を突きつけ、追い詰めましょう。
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ロシアによるウクライナ侵略戦争は「国連憲章違反」として世界中から断罪されています。人類が2度に亘る世界戦争から導き出した「戦争は違法」とする「人類共存共栄の宝」を踏み躙る暴挙であり、直ちに、中止させなければなりません。
ところが、「国連は無力」「戦争放棄の憲法は無力」と、安倍元首相や日本維新の会などが、国連憲章や日本国憲法を攻撃しています。75年前日本が起こした侵略戦争を反省せず、敵基地攻撃能力保有、核兵器共有で日米軍事同盟を強化し、自衛隊海外派兵を狙っている、と看做されます。
ウクライナへの侵略戦争反対の国際世論を高め、「国連憲章守れ」の声を侵略国ロシアなどに突きつけて行きましょう。紛争当事国以外の国が「武力には武力を」と乗り出すことは「国連憲章」に違反します。日本の場合、かつての侵略国の反省から「武器輸出3原則」及び、唯一の戦争被爆国として「非核3原則」の国是を持っています。
日本が犯した侵略戦争の誤りを繰り返すことなく、ウクライナへの侵略戦争を止めさせる国際世論を高め、経済制裁を含む外交努力で1日も早くロシアの暴挙を止めさせましょう。
2018年真備町水害では、国土交通省など国・県の見解として、小田川堤防及び支川堤防越流・決壊が、高梁川増水の「バックウォーター」により起こったとして、小田川・高梁川合流点の下流への付替え工事が即実施され、河道掘削・堤防強化が実行されました。しかし、これらの工事が完成すれば、真備町水害や小田川流域水害は根本的解決となり、住民には安心安全となるのでしょうか。
農業と水防を考える会が小田川水害・真備町水害を調査・考察して明らかになったことがあります。堤防高が大きい程決壊による破壊力の大きい大濁流が発生するから「堤防越流・決壊」など初動の大事件が問題視されます。しかし、それだけでなく、決壊後広範囲にわたる泥水滞留こそが大問題ではないか、と云うことです。濁流でなく静かに増水・浸水が起こっても短時間で水が退く場合には被害が軽減されます。浸水4日間も滞水排出ができない場所が箭田地区に残されました。
そもそも井原市・笠岡市・矢掛町・真備町の小田川流域は勾配が小さく、平素は溜川の様相を呈しています。吉備高原の広島県神石高原町に大量降雨があれば、濁流が一気に駆け下り、井原市で氾濫原を成し、わずかな勾配を東流・蛇行して沖積地を拡げ、天井川化した支川は増水時逆流し貯水池替わりになります。小田川流域の水利は、伏流水・地下水と支川及び中小溜池の水を使い、樋門及び水揚げ機(ポンプ場)を組み合わせて用排水調整を行う、農家の経験・知恵が結実していると思います。大平山を造った傾動地塊北側の断層帯に形成された小田川流域が、稲作適地として古代吉備国繁栄の礎を築いたのではないか、と古代ロマンに浸ってみたくもなります。
こうした断層帯・氾濫原の河川を堤防で区切るのは困難であり、丘陵地などで囲まれた氾濫原全体を活用し、遊水池をもつ農業公園とか、排水路掘削で小田川からの排水トンネルを直接瀬戸内海に通すなどの構想を議論してみる必要があるのではないでしょうか
「気候危機」と呼ばれる、地球温暖化・異常気象・非可逆的気候変動に対して、北欧を始めヨーロッパ、そして、海面上昇で深刻な被害が想定される国々・島々が、その防止策を求めて行動を起こしています。最大の温暖化物質・温室効果ガスである2酸化炭素の排出削減について、産業革命以来の全世界累積排出量が、1.5℃気温上昇に達するまでの削減達成年数(カーボンバジェット【予算】)が、2018年から14~18年程度しか残りがない(現在のまま排出すれば2032~2036年で1.5℃上昇)、と言われます。
これを岡山県に当てはめると、今のままの排出量が続くとカーボンバジェットは4~7年分しか残りません。県全体のCO2排出量の約半分が、JFE等大企業5社から出されています。大企業の排出をそのままにして、それ以外で省エネ及び太陽光発電等再生エネにより排出半減を達成するのは非現実的です。これまで大企業が大量のCO2を排出し、カーボンバジェットを使って来たことを総括し、1.5℃気温上昇が起きることを防ぐ温暖化対策が緊急に求められます。
省エネでは、断熱材等利用や熱効率改善建築など、再生エネでは、太陽光発電、潮汐・風力発電など技術的な問題はクリアは出来そうです。しかし問題は、住民のいのちと暮らしを守ることに対して、格差社会がそれに向かわず、逆に、いのちと暮らしを脅かす圧力をかけていることにあるのではないでしょうか。省エネと云っても、カネが無ければできません。寒空で深夜或いは早朝に働いて、帰宅しても風呂が無い生活を強いられる人にとって、シャワー使用を何分にして省エネするか、は全くナンセンスです。省エネ、再エネを住民が実行するための保障、住居・生活費の最低限保障を今の政治が実現していなくては、何にもならないのです。