「『神国』信じた軍国少年」の小中学生から「『反戦・獄中の党』に傾倒した」旧制高校生へ、自己変革の遍歴が語られるとともに、共産党員として人生を真直ぐに生きていこうとする筆者の姿が描かれています。東大卒業後、占領軍のお墨付きでつくられた「総評」加盟の鉄鋼労連書記に就職。雑誌「前衛」論文「民族解放民主革命の理論的基礎」を、上田建二郎の本名では具合が悪く「不破哲三」のペンネームで書いたことから、政治活動での俗称となった、と言う。
1960年安保反対闘争を経て、1961年第8回共産党大会で綱領が確定された後、非常勤で党本部に勤務。1964年政策委員会がつくられ、その常勤委員となることで職業革命家の道に進んだ。その最初の大仕事が、当時のソ連との論争だった。
ソ連の強大な力で帝国主義者は戦争政策を取れなくなった、などソ連の誤った理論と行動を厳しく批判。アメリカ帝国主義が対ソ連「緊張緩和」政策の裏で、対ベトナムなどに「各個撃破」政策を採っていると指摘。日本共産党は、アメリカのベトナム侵略戦争反対国際統一戦線結成を提唱し、中ソ対立の中で共同声明づくりに苦労したことが語られます。
毛沢東による「文化大革命」と称する権力闘争、ソ連東欧5カ国軍隊によるチェコスロバキア政府転覆事件、金日成北朝鮮首相による「南進政策」(韓国大統領府「青瓦台」襲撃事件もその一部)などを厳しく批判した日本共産党に対し、中国、ソ連、北朝鮮から党破壊工作が行われ、それらとの闘争が語られています。
「社会主義」を標榜しながら、その逆の事をしてきた外国の共産党・労働者党の話は、他人事ではありません。日本共産党攻撃には専ら外国の話が使われたからです。その一方で、自民党、旧社会党などは、中国、ソ連、北朝鮮に対して何も言わず、社交的な態度をとり、日本共産党を「自主孤立」と攻撃したのです。しかし、日本共産党の「自主独立」路線こそ、日本外交の基準になるのではないでしょうか。
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