九州南部豪雨災害が起き、一昨年の北九州豪雨豪雨災害に続き大きな被害を与えています。毎年繰り返される豪雨・台風に伴う水害に対して、国土交通省は、「流域治水・総合治水」対策を1級河川の全水系に拡大する検討を始めました。それ自体は緊急に求められますが、3年続きの水害教訓をどう総括し、また、明治以来の治水対策がどう問題だったのか、総合的検証をしないまま、目新しさで「予算獲得」メニー的な打ち出しが気になります。
明治の近代化の中で、高水方式(高堤防・捷水路ーー高い堤防内に流路を閉じ込め、素早く海まで流す)をヨーロッパ技術の輸入で採用しました。しかし、第2次世界大戦直後に連続した台風水害が激甚化し、高潮被害もあって都市化した干拓地・低地の大被害を前にして、アメリカ占領下、TVA(テネシー川総合開発)に倣った、多目的ダム建設が日本を席巻するように各地に展開されました。しかし、高度経済成長が終わる1972年水害で、ダム放流が原因とする告発・裁判での住民側勝利、田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」、嘉田由紀子滋賀県知事の「流域治水」など地方政策が登場、民主党政権で八ッ場ダム中止(その後の政権交代で建設再開)などを契機として、ダム方式見直しが進められました。大企業優先の地域開発政策で、大河川デルタに形成された三大都市圏の深刻な都市浸水被害に対して、遊水地機能を持つ多目的広場建設(ピロティ建物併設)、既存水路、道路の地下に、地下水路・地下貯水池・地下放水路建設などを進め、これを「総合治水」と呼んで推進したのも国土交通省でした。
今回の「流域治水・総合治水」対策では、高水方式も、多目的ダムも限界ありとしています。しかし、、農業が基幹産業だった封建制から、地主制を墨守したまま「殖産興業」の名で資本主義化を推進した明治政府の、欧米を真似た都市化政策(都市を守るために高水方式を輸入した)は、気象・天変地異の激しい日本で、都市と自然との対立を激化させた、と見るのは私だけでしょうか。終戦直後の連続水害に対し、「流域治水・総合治水」対策がテーマになるべきであったのに、「多目的ダム」を占領軍から示唆されたことが、日本の治水政策を歪め、真の対策を遅らせたのではないでしょうか。
そもそも「治水」は「利水」とともに、農業社会で、農民が労働の中で、自治的な政策として受け継いできたものです。武田信玄など封建領主が治水に力を入れたのも、農業生産物を多く取るために、農民の知恵と力が必要だったからではないでしょうか。農業労働がもつ、「治水」と「利水」の両面を調整・実行する経験知を、資本主義社会でも引き継ぐ必要があるのではないでしょうか。農民と土木・水利技術者が組んで「利水」「治水」を担うことが大事だと思います。農業政策の中に「利水」「治水」を位置づけ、農業振興と水害防止が車の両輪として動き出すことを求めていきましょう。
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