国土交通省岡山河川事務所と県内1級河川(高梁川・旭川・吉井川)流域自治体が8月7日ウェブ会議を開き、堤防やダムだけに頼らず、流域全体で水害を軽減させるプロジェクト策定に向けた議論を始めました。これは、7月国土交通省が打ち出した全国1級河川での治水対策の一部です。しかし、肝心なことーーこれまでの堤防やダム建設が招いた災害の総括が必要ではないでしょうか。また、豪雨・水害対策だけでなく、雨・陸水等の水圏全体の利用形態の総括も逃してはなりません。それらを基にした、流域全体治水・総合治水対策への発展でなければなりません。
明治以降西洋技術を導入して進めた「高水(高堤防捷水路)方式」は、日本の河川を「川でなく滝だ」と驚愕しながら、欧州の河川工学そのままに、高い堤防の中に河川を閉じ込め、流れの湾曲を少なくして素早く下流へと流すものでした。しかし、集中豪雨が大量の水を河川に注げば、水位増加で堤防決壊の危険が高まり、決壊による夥しい田畑・家屋の流失が避けられません。これは河川水の利用形態として、最も危険度の高いやり方であり、農業が中心の封建社会では、絶対にやらなかった(武田信玄堤は霞堤と呼ばれる遊水方式、岡山藩津田永忠の百間川放水路など)ものです。「高水方式」によって生まれた(水害リスクのある)土地に、小作地と工場用地・労働者住宅地拡大を進めたのが、殖産興業を旗印にした明治資本主義であり、地主階級の利益を最大化するものでした。
太平洋戦争で日本敗戦後の洪水多発に遭った政府は、アメリカ占領軍の助言で、テネシー川総合開発を真似て、黒部ダムを始め、電源開発等の多目的大ダムを全国に建設して行きました。急流の河川に複数のダム構築で、貯水と放流を繰返し乍ら、落水エネルギーを電気エネルギーに変換・供給すると共に、「地域開発」の名でバラ色の未来像を宣伝しながら、居住民追い出し、地域破壊を進めました。しかし、ダム方式は「高水方式」の危険性を増大させました。予測不能な流域雨量に対して、「事前放流」は「無駄な放流」=「無駄な費用」を避けては成り立ちません。もしも事前放流が遅れ、緊急放流になれば、雨量被害に加え、ダム操作災害を下流域に与えます。そもそもダムの無い河川では、支流が本流に注ぎ、滔々と流れるという関係が、ダムによって壊され、放流時増水で本流から支流へ逆流が起き、平素放流量が少ない場合、河床堆積物が無く、樹林化が進み、豪雨・ダム放流水が濁流積み重ねの流れとなり、鋭い水位上昇で堤防決壊の危険が増大します。
以上の「高水方式」「ダム方式」を不問にして、流域治水を議論しても、眼前の危険除去に繋がりません。流域治水という方向性は正しいが、その進め方は、これまでの治水の総括、水圏利用形態の総括の上でしか、真の姿を現さないと考えます。
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