倉敷市の機構「企画財政局」に「企画経営室」が設けられ、その中に「日本遺産推進室」があり、「一輪の綿花から始まる倉敷物語」とのストーリーが載ったパンフレットがあります。約400年前、倉敷、早島、岡山に跨る瀬戸内海に、干拓農地が拡がって行きましたが、塩害のため適地作物は「綿花」「藺草」しかありません。しかし、約150年前の明治維新で資本主義が繊維産業を先陣に興隆されるや、倉敷・早島に、「綿製品」「藺製品」の産地形成が行われました。農業と繊維産業が連携・発展すると共に、生産拡大が飛躍的に進み、海外進出も行って資本蓄積を進めました。この農業・軽工業生産の好循環で莫大な富を気づいた一人が、大原家です。その富の一部が大原美術館となり、また、蔵造り、町屋保存・活用も含め伝統的建造物群として、国から景観及び建物保存の地区指定を受けました。
「美観地区」と称せられる倉敷市日本遺産は、「一輪の綿花から始まる倉敷物語」と云うストーリーを含んでいます。これを、約60年前建設された水島コンビナートと比較すれば、150年前の農業・軽工業生産の方が遥かに波及効果が大きく、地域の産業・文化等の発展に繋がったと言えるのではないでしょうか。60年前の水島コンビナートは、大気汚染公害を生み、「職住近接」と云う、労働者居住地づくりが進まず、コンビナート装置産業の本格稼働は逆に、雇用を減らし、水島の街づくりは停滞・後退を余儀なくされています。
いま、水島コンビナートに、地球温暖化防止でCÒ2大幅削減が課され産業転換が求められています。そのため太陽光・風力・バイオ等の再生エネルギーへの転換や、省エネが求められています。これを、第3の産業政策として、大きく打ち出す必要があると思います。その時、CÒ2吸収する農漁業生産と結んで実現して行くプランを作る必要があると思います。第1の産業政策成果である農業・軽工業は、日本遺産として継承されています。第2の、コンビナート産業政策は、改造・発展させることが重要であり、それを直ちに取り組まなければ、温暖化等気候危機に間に合わない惧れがある、重大問題です。日本遺産を観光資源としてだけでなく、産業再生政策として生かす議論を始めようではありませんか。
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