原子力(原子核分裂エネルギー)の「平和利用」と言う言葉が使われるのは、「原子力の戦争利用」の歴史があるからです。不破哲三著「科学の目で原発災害を考える」は、「原子力の利用をめぐる2つの不幸」と指摘しています。
「第2次世界大戦ヒトラー・ドイツに対抗して、アメリカが科学者を結集して開発。ヒトラー降伏にもかかわらず広島・長崎で原爆投下した」と告発し、「最初の実用化が核兵器だった」ことが、第1の不幸と言います。
潜水艦動力用に開発し、軍用から民間に転用したのが「動力炉」であり、「安全性は2の次、3の次」だった、と告発し、原子力発電の「動力炉も戦争目的で開発された」のが、第2の不幸と言っています。
平和利用と言いながら原子力発電が、核兵器、原子力潜水艦など戦争道具と並存していることが問題です。これら三者の間に転用が行われる限り、「真の」平和利用はありません。
核拡散を防ぐと言いながら核保有国による「核抑止力」論を横行させ、また、核兵器廃絶を口にしながら、核兵器開発実験を強行する、こうした国際政治の現状に厳しく対決しつつ、核兵器廃絶を実現させることこそ、本格的な原子力平和利用の第1歩となるのではないでしょうか。
それを世界に呼びかける責務を負っているのが、唯一の被爆国日本ではないでしょうか。その意味で、核分裂エネルギーの原子力発電を、日本において、見直され、そこから撤退するかどうか、歴史の目が見守っています。
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