12月12日「過労死問題を考える集い」が田ノ上励ます会事務所で開かれました。「全国過労死を考える家族の会」のNさん、Wさんからの訴えを聞いた後、参加者13人で話合いました。
K貨物に運転手として務めていた、Nさんの父親が自殺したのは200年3月22日。それまで1年間に3480時間働かされており、過労のため2000年2月に躁鬱病を発症していた、として、労災認定及び会社を相手に損害賠償の訴訟に踏み切った。
しかし、運転手の勤務時間の上限が3500時間であるため、3480時間では「過労死」と認められない。これはタクシー運転手の勤務を基準に決めた時間であり、物流運転手の場合別の基準が必要なのに、そのことは無視されています。
Wさんは、K製鉄の係長(管理職)であった夫が、1991年6月20日会社で自殺。それまで毎日朝7時に家を出、帰りは12時を過ぎ深夜2時で、休日も出勤。平素穏やかな人が、亡くなる半年前ごろから、突然怒り出したりするようになった。これだけ働かさせていて、残業は月25時間以上は記録に残さない、タイムカードも廃止するなど、労働を「タダ取り」している会社は許せない、と思った。
労災認定請求とともに企業責任を問う裁判に踏み切った。1998年2月、裁判所が「通常勤務時間の2.38倍も働かせている会社に責任あり」と判断。2000年3月東京の労災審査会が認定。過労自殺労災認定第1号として東京版のトップを飾った。2000年10月2日、100%の会社責任を明確にした和解で結審。
参加者の中から「高校体育教師の息子が、過労からうつ症状が出て2年間3回入退院を繰り返した」「自分の娘婿も運転手だから心配」など、悩みが語られました。Nさんが「就職試験で50回も落とされ自殺した、就活自殺がある」と言うと、参加者の中で「派遣切りで家も仕事も失ったとき自殺を考えたが、友人に救われた」と体験が語られました。
2002年から2007年まで戦後最長の好景気「いざなぎ景気」では、国民には「実感無し」で、輸出大企業や大資産家が好景気を謳歌しただけでした。そこに、2009年の世界金融危機・過剰生産恐慌、そして2011年3・11東日本大震災・原発災害と、日本社会が大激動に見舞われています。
2010年には完全失業者334万人と就業者6256万人で、正規雇用は66%、年収200万円以下の労働者(働けど我が暮らし楽にならずーワーキングプア)が1100万人に上ります。そして、1999年国際労働機関ILO総会提案の「ディーセント・ワーク」(Desent=まともなWork=仕事、働き甲斐のある人間らしい仕事)が無い、と不満を訴える国民が先進国で過半数を占める状況が、反格差運動「われわれは99%」の源となっています。
過労死防止基本法制定を求める請願書の100万人署名にご協力ください!
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