Ⅰ.経済学上の発見 Ⅱ.恐慌論 Ⅲ.「独自の資本主義的生産様式」 Ⅳ.『資本論』第一部完成稿、の4テーマで『資本論』形成史が展開されます。それは“歴史の中でマルクスを読む”不破流の『資本論』探究であり、資本主義の矛盾と革命論についてのマルクスの考察の発展を追っています。
Ⅰ.経済学上の発見ーー農業では「資本構成」が工業と異なり「一般的(平均)利潤率」が低い。しかし、土地などの私有により地代として「一般的利潤率」を上回る「利潤」を得るーー「一般的利潤率」と「絶対地代」をマルクスが発見。 アダム・スミス、リカードウなどの経済学批判を通じて科学的経済学を創始したことが述べられています。
Ⅱ.恐慌論ーーマルクスとエンゲルスは「恐慌のない革命はない」と考えて「恐慌」を観察。生産力発展で「不変資本」比率が上がり、「可変資本」比率が下がる。剰余価値を生み出すのは「可変資本」だけだから、生産力発展が「利潤率」低下をもたらす。マルクスは、「利潤率」低下と恐慌とを結び付けようと苦闘したが成功しなかったと指摘しています。
貨幣資本の循環の考察からマルクスは「市場は需要と供給を調整するが、商人資本の介在で現実の需要から独立した『架空の需要』が生まれ、累進的に拡大すると恐慌になる」「生産過程の規模が必要とする、流通過程を短縮する形態を信用の中でつくり出し、(中略)世界市場はこの形態の作用を見えなくすることを助ける」ことを明らかにした。これを不破氏は「恐慌の運動論」と呼んでいます。
同時に、恐慌を資本主義体制の危機に直結させる従来の「恐慌観」から抜け出し、恐慌を資本主義的生産の「生命循環」の一局面としてとらえ、破局的な局面が周期的に来ることが避けられないことを明らかにした。そしてマルクスは『賃金、価格及び利潤』において、恐慌を重要な節目とする産業循環を通して労働者は経済闘争をいかに闘うべきか、革命論を説いたことが紹介されます。
Ⅲ.「独自の資本主義的生産様式」では、マルクスは当初「生産のための生産」という資本主義の本質的衝動を、より大きな剰余価値を追及する資本の本性、世界市場をつくり出そうとする 資本の本性に根拠を求めていた。しかし、機械制大工業の実態研究から、機械制大工業こそが「生産のための生産」の物質的基礎であり、資本の大きさ以外に生産の制限はないことを見出した、と不破氏は解説します。
この生産様式は、労働者階級を、来るべき社会において発達した生産力の主体的な担い手として成長発展させる。社会的な大量の生産手段の所有者は「資本家ーー非労働者」だが、現実の生産過程では、社会的な生産手段の運用に共同であたっている労働者の集団にほかならない。未来社会への展望が語られている。
Ⅳ.『資本論』第一部完成稿では、資本と労働との闘争についてマルクスは、「近代産業の発展そのものは、労働者に不利で資本家に有利な情勢を累進的に生み出す」、「『公正な1日の労働に対して公正な1日の賃金を』と言う保守的な標語のかわりに『賃金制度の廃止』という革命的スローガンを」と訴えた。
近代的工業を、「技術的基礎はすべて本質的に保守的であった」これまでのすべての生産様式と対置し、「社会における分業も絶えず変革し、大量の資本及び労働者をある部門から他の生産部門に果断なく投げ入れる」。近代的工業が、労働者に新しい苦難をもたらす「否定的側面」とともに「全体的に発達した個人」の形成への接近など未来社会の要素となり得ることをマルクスは指摘している。
また、近代的工業の段階で資本家階級は、広範な労働者に失業・半失業という「強制的怠惰」を強制し、現役労働者には苦痛に満ちた過度・長時間労働を強制する最も強力な手段を手に入れた。しかし、小資本の絶滅による大資本の累積、吸引。生産は、疎外された形態においてであるとはいえ、社会的な形態に転化する。資本家は、この社会的生産を促進するとともに、生産力の発展をも促進する過程の機能者としては無用になる。資本家階級は没落への道を急ぐ、とマルクスが喝破。
その一方で「大資本家の数が絶えず減少していくにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する」。「資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る」。マルクスの革命観が鮮やかに示される。
日本共産党の自主独立路線の中心軸に、不破氏のマルクス・エンゲルス研究、マルクス『資本論』研究が置かれています。私も『資本論』をつかむ努力をしたいと思います。
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