アメリカの先制攻撃(侵略戦争)支援のための「安保法制」は、正に「戦争法案」と呼ぶにふさわしい。国際紛争解決手段として戦争を放棄し且つ、軍事力・交戦権を否定する、憲法九条違反は明白であり、「戦闘地域への自衛隊海外派兵」も「武器使用(交戦)」も、憲法違反と答弁してきた歴代自民党政府の姿勢を転換しています。この重大な違憲法案を、強行採決するという、国民主権蹂躙は絶対許されません。
私は終戦時5歳で、岡山・水島空襲を、疎開していた倉敷の実家で、遠くから見ています。グラマン戦闘機の機上掃射(実際撃たれたわけではありませんが)の恐怖は、戦後になっても悪夢としてうなされた記憶があります。灯火管制が無くなり、安心して電灯がつけられる、と母が喜んでいたことが忘れられません。
310万人の日本人が死に、2000万人とも言われるアジアの人たちの命を奪い、家や工場や田畑を破壊した日本の侵略戦争を再び繰り返してはならない。これが戦後の日本国民の決意ではなかったでしょうか。日本国憲法は、軍国主義排除・日本の民主主義化を求めるポツダム宣言受諾により、天皇専制の帝国憲法を廃棄し制定されたものです。
安倍首相が、志位共産党委員長の質問に「ポツダム宣言はつまびらかには読んでいない」と答弁したのは、日本の侵略戦争を「自存自衛」と偽る「歴史修正主義」の立場から、「認めたくない」との思いが頭をよぎったのでしょう。首相は、日本の侵略戦争で甚大な被害を与えた人びと(国民を含む)への反省・謝罪の気持は無いのでしょうか。
歴代の自民党政府は、憲法九条への態度をクルクルと変えてきました。インターネット・ウィキペディアで見ると、1946年国会で吉田茂総理大臣は「自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したもの」「国家正当防衛権による戦争は正当なり、とせらるるようであるが、私は斯くの如きを認むることが有害」と答弁していました。
ところがその後答弁が変わります。1950年、警察予備隊設置の際、再軍備、国際紛争解決などには使わない、とし「全く治安維持だ」と答弁。しかし、1952年吉田内閣の政府統一見解では「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものを言う。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」として自衛隊創設に道を開いていきました。
この政策転換は、1950年6月25日に北朝鮮による先制攻撃で始まった朝鮮戦争に、アメリカが韓国とともに参戦し、日本にアメリカ軍支援が要請・検討されましたが、憲法九条が足かせとなって軍事行動はとれませんでした。そこから、アメリカの要請を受けた歴代自民党政府による、警察予備隊・保安隊・自衛隊へと急ピッチで再軍備が進みました。
自衛隊が結成されても、憲法九条に照らせば、海外派兵、集団的自衛権行使はできない、ことは明白であり、政府も、個別法で「自己防衛だけの武器使用」「非戦闘地域のみ海外派遣」など「歯止め」を強調してきました。今回の戦争法では、こうした「歯止め」も無くし、「安保法制に合うよう憲法を考える」(中谷防衛大臣答弁)という暴論まで展開し、安倍自公政権が何でも決められる仕組みをつくろうとしています。
これは正に独裁政治です。「アベ政治を許さない」の声をあげていかなくてはなりません。
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