真備町1200haに4m超の大水が押し寄せました。末政川、高馬川、真谷川など小田川支流堤防の決壊箇所から、小田川・高梁川全体の大水(推定5000万トン)が、5700戸の家屋と田畑を水没させました。この大災害の行政責任を曖昧にすることはできません。
この大災害の後、行政が修復・応急対策と共に即座に取り組んだのが、1つは、小田川ジャングル雑木の伐採・河床整備であり、もう1つが、支流の堤防拡幅・強化です。ここに、河川管理の行政責任があることが、はしなくも告白されているのではにでしょうか。高くて丈夫な堤防と内水排出ポンプ設置で洪水を防止する、これを行政が、豪雨の前に対策として実施していたかどうか、事前倍細についての行政責任が問われます。また、避難指示の早期発令(堤防決壊の後から避難指示!)など、豪雨の中で、住民の命と財産、経営を守る行政において、組織的過失の有無が問われなければなりません。
高梁川・小田川合流点の南下付替だけで、すべて目出度しではありません。高梁川下流の雑木林伐採・堤防強化、何よりも小田川が通る柳井原など船穂町の堤防強化、内水排除ポンプ設置など、国土交通省の視野に入っていないのではないでしょうか。さらに、南海大地震が起きれば、津波が高梁川河口から押し寄せます。河口・下流域対策が求められます。
自然災害への対策は、自然の圧倒的な大きさと力、そして予測困難な複雑系現象に対する、人間の歴史的闘いをふまえなければなりません。自然探求とともに人間の歴史の総括が生かされて初めて前進した対策となります。「人災」「政治災」は、そうした真摯な人間的・社会的取り組みを、警視、無視したところから発生するのではないでしょうか。そこに向けての、被災事実と被災者の告発が提起する、国家賠償法による災害裁判は価値あるものではないでしょうか。
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