7月7日七夕の早朝、西日本豪雨による堤防決壊が、小田川の支流である、末政川、高馬川等で起きました。支流堤防決壊によって一旦減水位が起き「ほっとした」との証言を聞きました。ところが、そのあと2階以上5m超えの大洪水に襲われたのです。この水は増水した小田川から末政川、高馬川に流れ込み、さらに、本流の高梁川から小田川経由で流れ込んだのではないでしょうか。即ち、高梁川・小田川水系下流域の一番弱いところであった、真備町内支流の堤防決壊・洪水氾濫により、この水系の長い河川堤の総体が守られた、との構図が浮かび上がってきました。
小田川が高梁川に合流する地点を【柳井原貯水池南口、倉敷大橋下流】へと南方移動・付替すれば万事解決として、計画前倒し工事に踏み切った国土交通省は、高梁川・小田川水系全体の堤防強化、河床浚渫整備の計画を示さず、堤防決壊部の補強工事のみ実施しています。住民や日本共産党が要求してきた「小田川河床ジャングル雑木伐採」については、「洪水の原因かどうか調べてみないとわからない」と云いながらも、洪水後真っ先に伐採・河床整備工事を行いました。
そもそも、大正年間の高梁川大改修に際して、真備町水害除去のため、高梁川合流地点に小田川導入提を設け逆流防止策としていましたが、それは不十分で、真備町は大改修後も度々洪水・浸水に見舞われていました。しかし、今回大雨特別警報発令が示す圧倒的雨量が、高梁川・小田川水系内の一番弱い堤防を破壊した、とすれば、次の大雨特別警報で決壊する堤防はどこか、堤防強化計画が立案されなければなりません。地球温暖化で、豪雨災害は増加の一途を辿り「災害はどこでも起きる」災害列島日本の河川行政・防災行政は試練の時代を迎えているのではないでしょうか。
丘陵地開墾した末政地区での人口減・田畑荒廃で、天井川である末政川は、雨が降るとすぐ水が出るようになった、と言われます。農林業・農村の荒廃が、上流部の、緑のダム(森林)、田圃のダムを減少させ、平野部でも、アスファルトで覆われた不透水の地面が拡がり、大雨で側溝から溢れ出す、小さな川が氾濫する、という光景が珍しくなくなっています。即ち「治山治水」を生業の一部とする農林業に、国土保全への貢献評価・支援っを。農林漁業の継承で圧倒的な数の家族経営への支援など、農林漁業の振興策の議論を活溌化させる必要があります。
真備町水害からの復興が言われます。しかし、真備町農業の復興、関連の中小企業・商店復興が無ければ、真の復興と言えません。水島コンビナート労働者のベッドタウンとされてきた真備町で、今回多くの被災者を出し、「水害で危険な処とは聞いていなかった」と怒りの声が上がっています。「安心・安全なまちづくり」へ、コンビナート大企業の果たす役割が有るはずです。水島公害で企業責任が問われ、公害防止の取組に企業が補償金を出しましたが、真備町水害に、企業はどう関わろうとしているのか、企業への申し入れ・懇談が求められていると考えます。
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