18年7月豪雨災害で大被害を出した倉敷市、被害の集中点は真備町です。2m~4m超の泥水が、真備町面積の3割、1200ha.を襲い、約1万人の被災者が、倉敷市内外で今も避難生活を余儀なくされています。今回の水害では、河川堤防の越流・決壊が住民に知らされ「避難せよ」の公報徹底がなされなかった(7日午前からマスコミ関係ヘリは何機も飛んでいたが-⋯)と言われます。岡山県や倉敷市の災害対策本部、行政の初動が遅れたことの責任は重大です。
国土交通省は、被災後立ち上げた調査委員会により「バックウォーター(逆流)が洪水の原因。高梁川・小田川合流点付替えが出来ていれば被害が軽減されていた」と発表し、住民が要求していた、小田川ジャングル雑木伐採・河床浚渫については「調査しないと影響はわからない」と言いました。ところが災害後1月経つと、小田川は雑木林が伐採され、河床浚渫整備が始まり、ジャングル雑木の景観は消滅し、国土交通省による証拠隠しのようだ、と評される状況です。
バックウォーターは、真備町の地形によるもので、以前から指摘されていました。高梁川に小田川が接続し、それに末政川、高馬川、真谷川3支川がつながっています。南と北の丘陵地に囲まれた地点に、大(高梁川)、中(小田川)、小(3支川)河川が合流すれば、水害発生の危険が増大することは避けられません。高梁川西岸堤防強化で同河川水の直接的氾濫は防いでも、合流点から小田川、さらに支川への逆流は防げません。
北の丘陵地から南下する末政川、高馬川は天井川で、それぞれ高い堤防で真備町を3分割し、その中に流入した水の排水には時間がかかります。今回、7機の排水機場はすべて水没し稼働しなかったと聞いています(ポンプ車による排水作業は水没3日目、7月9日午後から)。しかも、東部を流れる上原用水の水が溢れた分、内水氾濫は酷くなったのではないでしょうか。末政川堤防を切通す元県道の止水板「陸こう」が使われず、濁流を越水させた責任も重大です。
昭和47(1972)年、昭和51(1976)年水害では、道路・田畑冠水、床下浸水で済んだのが、今回大水害となった原因を、内水氾濫を含め、総合的に明らかにすることが求められます。何よりも、被災者の体験を聞き、歴史にも学び、2度と重大災害を起こさない取組を進めなければなりません。
農業社会は、利水と共に、治水を行い、発展してきました。豪雨による増水を、水門操作等で、大きな河川に流して小河川の氾濫を防ぎ、広大な田圃に薄く広く滞留させ、必要な処でポンプ排水を行うなど、農地が宅地に変わり都市化が進む中で、農家と自治体が協力して、水害防止対策を進めて来ました。しかし、農業の衰退とともに、水害防止組合など無くなっています。農業を水防と一体的に捉えた政策で、農業・水防の自治組織を育てることなど、地方自治体として取り組むべき課題があるのではないでしょうか。
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