2018年7月7日田口明子市議から、浸水状況を調査したいと連絡が入り、軽トラックに同乗してもらって出動。倉敷地区南部、中島・西阿知地区、倉敷北部、倉敷東部など、広範囲に浸水域が広がっていました。しかしその時、4m超えの濁流が真備町全域を襲い、2千人を超える住民が水没した自宅に取り残され、水死された人、2階の屋根で救出を待っていた人など、大変な状況が発生していたことを全く知りませんでした。7日夜ニュースで各地の洪水が報道され、ヘリコプター写真がテレビ放映され、惨状をはっきり知りました。しかし、平素ほとんど水が無い小田川河道はジャングル雑木林となっており、そこに大量の水が出たことがどうしても理解できませんでした。
1976年9月の水害は、真備町立箭田高校(昼間定時制)に勤務していて、道路・田畑冠水を体験しましたが、家屋への浸水被害実態は余り知りませんでした。当時は、小田川に稲田があり、耕作が行われていて、ジャングル雑木は少なかったと思います。建設省(現国土交通省)が小田川を1級河川(真備町分のみ)に指定し、河道の土地買収を進めましたが、管理が為されずジャングル雑木は酷くなり、住民が伐採を求めても、河川事務所は「予算が無い」とほとんど動きませんでした。ジャングル雑木が増水を嵩じさせ、越水・堤防破壊を起こした、と見ている真備町住民は多いのです。
そもそも小田川は傾動地塊の溝部分に形成された河川で、西から東へと流れ、井原~矢掛(一部笠岡)~真備までの高低差は小さく、南北丘陵地からの支川流入水が溜るところとなっています。また、南部の里庄、鴨方などは窪地に集まった水が里見川に流入し玉島水門まで行き、やっと排水できます。そもそも隆起準平原・吉備高原の南端に位置する県西南部は、海退により陸化した地域、低湿地帯で浸水被害が発生し易いところです。昔海底であり島であった倉敷市水島・玉島に対して、道後山を発する成羽川、花見山を発する高梁川が合流し、さらに広島県を水源とする小田川が真備町で合流して瀬戸内海へと流れ出るのです。
広大な流域を持つ成羽川・高梁川・小田川の流域総雨量が真備町水害をもたらしたことは明らかです。それは、小田川合流点付替えだけで防げるものでないことも当然です。ダムが事前放流でやっと治水に貢献しても、ダムが水の挙動を変え、河川を変え、治水を歪めてきたことに反省はなされていません。広大な低湿地帯の関東平野に首都圏を築き、利根川付替え、放水路開削、更に「地下神殿」(首都圏外郭放水路)、多目的遊水地(W杯会場の高床式スタジアムをもつ広場)まで造った「総合治水対策」、これを日本全国で本格的に進め、「災害列島」から「水防列島」へと「転換」しなければなりません。真備町等水害を繰り返さないためには、この道しかないのではないか、と考えます。
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