日本有数の鉄鋼・石油コンビナートをもつ水島工業地帯は、従業員数約2万4千人、製造品出荷額年間約4兆円です。その大企業誘致は「地域開発」の名で行われましたが、地域住民の真の発展、生活向上に繋がったかどうか、検証が必要です。自民党政権は高度経済成長政策を推し進め、「列島改造」のスローガンで大規模土木建設工事(港湾浚渫・拡張、飛行場建設、高速道路・新幹線等交通網近代化、鉄とコンクリートの都市づくり)が全国で展開されました。
しかし今や、高度経済成長は全く影を潜め、低成長下の「緊縮財政政策」及び「大企業利益優先政策」が全国を覆う状況です。そこに今回、コロナ感染による、社会・経済被害が大規模に発生し、その回復には長い時間が必要とされ、国民の苦難が増大しています。高度成長政策からの転換が求められているのではないでしょうか。
かつて「殖産興業」を掲げ、日本資本主義が発達した明治大正期の半世紀(1875年~1925年)には、倉敷、児島、玉島地域で、干拓田での綿花栽培を基に繊維産業が興隆し、その中から倉敷の大地主、大原家がクラボウ、クラレを創設し全国展開しました。この繊維産業興隆は、倉敷、児島、玉島の街づくりに大きく貢献し、日本遺産指定を受けるような足跡を残しました。
しかし、1950年代の水島工業地帯建設は、広い、数多くの道路網・公園を残しましたが、公害のため「職住近接」の近代的街づくりが出来ず、企業誘致と街づくりの対立は未だ解消されていません。さらに、真備町を含む倉敷市の各地区での労働者の居宅づくりが、排水不良低地の浸水被害を拡大・常習化させるようになっています。工業地帯が、大企業の儲け本位に建設・運営され、そのしわ寄せが、地域と労働者に押付けられているのではないでしょうか。
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