相次ぐ激甚水害頻発で、国土交通省は「流域治水プロジェクト」を開始しようとしています。これまで政府がやって来た「治水対策」のどこに問題があったのか、総括が求められますが、それをきちんとやらないで、堤防やダムだけに頼らない「治水対策」を、と言っています。
富山和子氏の著書は46年前に初版されていますが、堤防万能、ダム多発を反省する時代に、その真価が発揮されると思います。氏曰く「川の恵みとは川が運んでくれる水と土壌の恵み」「明治中期に」「堤防と云う新鋭の技術が治水の主役とされ」たことで「川は日本人の目に、それ以前とは異なるものと映り始めた」と述べて、連続堤防と高水位で壊れない河川施設づくりを行った明治政府による、動乱の幕末期をへて山々が荒廃し水害が絶えなかった時、「治水の一大革命」――川と川以外の土地とを明確に隔てるこの「高水工事」は、土地の高度利用を図る一方で、不要な水ー洪水を川に委ねて処理させ、土地利用の分業化を進めた、と指摘します。
ところが「治水革命」によって水害が無くなったのではなく、利根川で明治33年から始まった高水工事は、明治43年大水害で計画は破綻。その後20年間かけて利根川大改修が完成。しかし、それも敗戦後の昭和22年カスリン台風の大水害で破綻。結局「堤防万能」は洪水流量を増大させ、日本列島は「水害列島へと改造された」と指摘しています。
そして、川の中の水と土と緑は解体され、土と緑はその存在を否定され、水だけが問題とされ、昭和47年梅雨前線豪雨で、資源開発、観光開発で乱伐された森林地帯で、山崩れ・崖崩れが多発したことを捉え「都市が山村に被せた最大の破壊」と断罪しました。
こうした「水害列島日本」は明治中期以前、江戸時代等以前には無かった、舟運が存在したことで、川は低水工事で流量一定を保持し、堤防依存を戒め、遊水地や水害防備林の巧みな配置で治水対策を行っていた、と言います。「高水方式」が流量増大を招き、激甚水害を引き起こした、との指摘に対して、「流域治水プロジェクト」はどう答えるのか、質したいと思います。
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