この言葉はマルクスの『資本論』にあります。その前文は「資本独占は、それとともにまたそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなる一点に達する。この外被は粉砕される」に続き「資本主義‐‐‐」と来ます。資本主義が社会主義に発展する必然を語った言葉です。
その社会発展の担い手については、次のように述べています。「この転化過程のいっさいの利益を横奪し独占する大資本家の数が絶えず減少していくにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合される労働者階級の反抗もまた増大する」
こうした労働者の側の発展は資本の側の変化によってもたらされます。「この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と相並んで、ますます増大する規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、労働手段の共同的にのみ使用されうる労働手段への転嫁、結合された社会的な労働の生産手段としてのその使用によるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなかへのすべての国民の編入、したがってまた資本主義体制の国際的性格が発展する」
いま資本主義経済の下、世界で起きている「反格差運動」の進む方向が、「資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る」方向のように感じます。社会発展を担う労働者側の発展を意識的に促進しなければなりません。資本の側の変化では、もう十分資本の独占化が進み、その被害が広がり、多くの人々がそれを認識し始めているからです。
以上は、不破哲三「古典教室」連続講座の資料から抜粋しました。マルクスの予言が世界的に蘇る時代に入った、と感じるのは私だけでしょうか。
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