私は、 広さ約10aの田圃でコメの裏作として小麦を栽培し、昔風の製粉をして、うどん、パンの加工・販売を行っています。営業日は、毎週火曜日午前11時30分~午後1時、場所は、倉敷市田ノ上779-1、「みんなのひろば」と称しています。7,8月を除き、毎月第3火曜日は、うどん、パン以外に、バラ寿司、山菜おこわ、赤飯、草餅など手作り食品、採りたて野菜や風蘭の販売を行い、月例バザーと称しています。これを担うのは、近所の農家を中心にした、主婦の仲良しグループで、農協婦人部として、JA倉敷かさや倉敷支店の施設を利用して、自家製味噌づくりも行っています。これらは、昔の農家が自給自足的に行っていた食生活の伝統を現代に生かそうとするものです。「農村食堂」とも呼べるのではないでしょうか。
小山家、我が家は零細自作農家です。父が、神戸高等商船卒で外国船機関長を務め、戦後食糧難時代に郷里倉敷と神戸の商船会社を往復しながら働き、過労病死しました。母が3反余りの田畑を耕して私たち3人の子どもを育ててくれたので、農業は命と暮らしの大本と思っています。私自身は、小学校高学年から農家の男手として野菜を朝市場に運び、夏休みには市場でアルバイトするなど、農業は、大学の4年間以外、高校教員、市会議員を通じて、一貫してやってきました。
1960年代から水島コンビナート建設が始まり、都市開発として大高土地区画整理事業が計画・実施されて来ました。これに対して、米・イ草・蔬菜の栽培農家が、農地を守ろうと、区画整理反対の運動に立ち上がりました。私も地権者の一人として反対運動の事務局次長を務め、計画縮小に追い込みました。大企業優先の都市開発から農業を守る闘いは、その後、チボリ公園誘致反対、チボリ起爆剤による都市開発に反対する運動へと発展していきました。大企業優先政治、大型都市開発に反対し、農業を守る運動が私のライフワークとなりました。
いま、月1回、土曜日もしくは学校休業日の火曜に、「子ども食堂」(中学生までうどん1杯、パン1個無料)を併設しています。安心安全で無料の給食提供を目指し、自家製大豆で作った 豆腐油揚げを加えて栄養バランスを良くして行こうとしています。子どもたちの食と健康づくりに資するための、学校給食休業日の給食支援の一助になれば幸いと考えています。
日本では、太平洋戦争後の農地解放で自作農家が増え、食料増産が進みましたが、アメリカ型の大農法も導入さました。世界では、近代化・大規模化による農薬・化学肥料汚染、地下水低下などの環境破壊、飢餓や貧困が増大し、多国籍企業優先の大規模農業政策の見直しが求められています。
世界の食糧生産の8割を担っている小規模・家族農業への支援を強めることで、食糧保障、雇用創出、貧困削減など多面的な社会貢献を実現させ、「持続的開発のための2030アジェンダ」貢献へ、国連「家族農業10年」(2019~2028年)が定められました。この世界的な流れの中で、「農村食堂」「子ども食堂」を運動として広げて行き、若い人たちに継承してもらうことが大切ではないでしょうか。
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