西日本豪雨災害から2か月も経たない9月4日、近畿地方に強風・高潮災害がもたらされました。その2つの災害の間は、気温36~40度超の「危険な暑さ」の毎日でした。これらは、地球温暖化と呼ばれる、空気中CO₂濃度急上昇に伴う大気の温度上昇、それによる大気の攪乱(定常状態からの偏移拡大)が原因と言われ、気温の異常低下も起こります。
大気の現象ーー雨と風そして気温ーーが人間の生活に大きな影響を持つことは太古の昔より良く知られています。これに振り回され、逃げ惑っていた太古の時代から、人類は、風雨をしのぐ家を建て、降水を管理する川堤や池・湖をつくり、大気現象を人間の生活や生産に利用してきました。それは「穏やかな時の自然の利用」に過ぎないのですが、「自然をコントロールしている」「征服している」との錯覚を生んだのではないでしょうか。そのことを「天災は忘れた頃にやってくる」「自然からの逆襲」と言って、警戒を呼び掛けて来ました。
豪雨・洪水災害は、堤防より低地に住宅を建てている日本の各地どこででも起こり得ることで、堤防強化・河道浚渫、水位監視など防災対策は、常日頃ゆるがせに出来ないものです。しかし、そこにどれだけ専門家・職員配置し、住民要求をもとに防災行政をやっていたか、厳しい総括が求められます。洪水・土砂崩れなどの危険が想定される場合の建築許可基準の見直しなど都市政策にも関わる総括が求められます。また、近畿地方、大阪など大都会での強風被害で、ビルの谷間に残された家が、強風がさらに強く当り、破壊を進めた「ビル風問題」なども、安心・安全の街づくりにむけた検討材料となるのではないでしょうか。
人類は、災害が起こる度に、教訓を引き出し、知恵を働かせて、防災対策(堤防強化、河川浚渫など)を行ってきました。同じ程度の雨風に対して大丈夫なように災害復旧すると「もう大丈夫」と安心し、それが何回か続くと、「災害に勝った」との「過信」が生まれ、「災害の無い地域」など「根拠のない神話」が振りまかれるのではないでしょうか。
今回災害において「浸水ハザードマップ」は作られていましたが、5mもの洪水が押し寄せるとの想定を、国土交通省、岡山県、倉敷市など行政が本気で受け止めていたようには思えません。住民や共産党が要求していた、小田川河川敷雑木林の伐採を放置したまま、「大雨特別警報」「避難指示」を出したことに、それが現れていると思います。真備町の3割を浸水被害におとしめた後、「証拠隠滅」を図るかのように、国土交通省は、重機を導入し、数日で伐採・撤去しました。
明治の民権運動家、植木枝盛は「世に良政府なし、人民これを良政府たらしめるのみ」と言いました。被災住民と市民が団結し、国、県市に防災対策を求め、それを推進させ、安心・安全なまちづくりをみんなでつくり上げて行く。それを実現しようとする国民運動が、「災害対策連絡会」ではないでしょうか。
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