水災害の優れた論考を発表してきた森滝健一郎著『河川水利秩序と水資源開発ーー「近い水」対「遠い水」』で、P281、高度経済成長下の治水の歪みと「総合治水」の項において、連続堤防と捷水路(しょうすいろ、速流水路)による「高水方式」を基本としてきた治水当局が、戦後初期の洪水頻発で治水政策が破綻したことを受け、アメリカ占領軍推奨の「TVA開発」に啓発され、ダムによる一時貯留によって高水方式を補強する治水方式を採用し、洪水調整・灌漑・水力発電の多目的ダム建設を進めた。高度経済成長期に入り、工業用水・水道用水需要増大に合わせ、特定多目的ダム法制定(1957年)、水源開発法(1961年)水資源開発公団法((1962年)制定で治水を含む多目的ダムも同公団が建設。1964年河川法改正で「1級河川」の管理権を知事から建設大臣に移し、治水・利水にわたる中央集権的管理体制を敷いたが、それは多目的ダムをテコとして基本的に都市用水を優先するものであり、治水に新しいかたちの歪みをもたらした、と厳しく指摘しています。
その歪みとして、①住宅不適地の宅地化など都市化進展に伴う水害頻発 ②大河川水害に替わって中小河川災害の増加 ③堤防破壊=外水被害に替わって内水被害(一時貯留したダム水が洪水後長時間にわたって放流され、高堤防に挟まれた河道水位の低下を遅らせ、両岸の内水が排除されることなく滞留)の比重が増大 ④集中豪雨による山津波・崖崩れ・鉄砲水など局地災害による人命犠牲の頻発 ⑤ダム水害の増加、であり、多目的ダムと高堤防に過度に依存する偏った一面的な治水方式に由来するところが大きい。1972年7月豪雨災害で歪みが現れ、ダム「緊急放流」(実は多目的ダムにおける利水優先に起因するもの)による水害拡大事例が多く見られた。岡山県の中国電力ダム緊急放流、大阪府大東水害、東京都多摩川水害、岐阜県長良川水害など水害訴訟が30件近く起こされた、と記述しています。
堤防築造による天井川形成、ダム築造による河床変動など防災上好ましくない変化を惹起したことが訴訟の背景にあり、大東水害で被災住民側勝訴第一審判決が出た1972年には、建設大臣が河川審議会に「総合治水対策」について諮問。「線」としての河川水系の中だけに視野を限らず、「面」としての流域全体に視野を広げ、その土地利用の変化と水の挙動との関係を究めて、これらを適切に制御していくことの重要性を指摘しています。
1973年「防災調整池事業」(上流山地又は丘陵の市街化による洪水流量増大に対処する事業)、「都市河川治水緑地事業」(市街地河川上流都市周辺の未開発地に、平常時池内敷地を大規模公園緑地として利用できる調整池の建設促進事業)、1977年「多目的遊水地事業」(都市近郊における自然の遊水機能を確保しながら、住宅団地・流通団地など都市施設をも併設し都市開発と水害防止を同時追求する事業)が発足、1980年建設事務次官通達が出され、1986年までに、大都市圏の中小河川を中心に、14河川が「総合治水対策」対象として指定され、①河川改修事業の推進 ②流域における適正な保水・遊水機能の維持、確保等についての方針及び対策等を内容とする流域整備計画とそれに基づく対策の実施 ③浸水実績の公表等を行う、とした事業が行われている。
最後に森滝氏は、「総合治水対策」が従来型の治水への「反省」に立って登場したことは否定できないにせよ、国の治水政策全体の基調とされたわけでなく、治水事業のごく一部を占めるに過ぎない。治水の全領域に亘って「転換」があったとは到底言い難い。ただ「総合治水対策」が「転換」の萌芽になり得るとは言えるだろう、と指摘しています。
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