倉敷市は市立図書館老朽化を口実に、中央図書館、中央憩いの家、市民活動センターを統合した施設を庁舎東駐車場に移転新設し、自然史博物館はライフパークに移転する計画を発表しました。併せて市立図書館を民間委託(指定管理者制度)にする方針を示しました。中央図書館・自然史博物館は、観光客用施設等に改造するのでしょうか、とにかくその場所は、図書館・博物館はふさわしくない、としています。
しかし、1981年から82年にかけて倉敷市は、この旧市庁舎(水道局)跡地を「文化観光公園」にしようとしました。これに対して文化人をを中心に、反対する「41人委員会」呼びかけが行われ、市民運動が起こりました。その結果、計画は変更され、図書館・博物館となりました。この歴史的経過を無視して、施設撤去作戦を強行しようとしていると考えられます。
実は、美観地区など伝統的建造物群保存地区を守ることでは、文化運動・市民運動が大きな役割を果たしてきました。1990年美観地区の背景にビルが聳え建ち景観を損なう問題が発生すると、背景保全条例を策定して阻止する画期的取組が執行部と議会の良識派により推進されました。1991年2月倉敷市長選で渡辺行雄前県議が当選し、岡山市制百周年記念事業のチボリ公園誘致が市民の間で大問題となり、市長が突然辞任した2月選挙で当選した安宅敬祐氏は、岡山市事業から外すことを決めました。そこで、長野士郎知事が倉敷市に渡辺市長を訪ね、倉敷市誘致を要請し、渡辺市長が受け入れを表明しました。
倉敷市民は「岡山で要らないものは倉敷にも要らない」と反対運動に起ち上がり、市長選挙では、渡辺市長に敗れた保守派の滝沢義夫前市長の助役・室山貴義氏を共産党が政策協定を結んで支援し闘いました。敗れましたが、大接戦を演じた理由の一つに、伝統的建造物群・倉敷の文化がチボリ誘致で壊される、との危機感が市民に生れたことは否定できません。チボリ公園は強引に開園されましたが、市民からの反対運動が続き、2008年12月末で閉園に追い込まれました。
倉敷市は、学校給食の直営自校方式についても、給食調理場の老朽化を理由に、集約化・民間委託を推し進めていますが、市民運動によって、「直営自校方式」を打ち出した「21世紀学校給食検討委員会答申」を実現したものが、引っ繰り返されています。市民運動で実現してきた行政を、反市民的なものに造り変えようとする「新自由主義的」策動に対して、反撃の市民運動を構築してことが求められています。
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