コロナ感染者数が1日100人超えるなど、倉敷市でも急拡大しています。一昨年は真備町を中心に大水害に見舞われました。新型コロナパンデミック、異常気象・豪雨どちらも根本原因として、人類文明が自然を破壊し、自然との共存を無視してきたことが指摘されています。新型コロナ感染は、生体の人間に入り込んで増殖し、呼気排出物に混じって別の人間に感染し、次々と感染拡大して行きます。
元々、ジャングル等の開発拡大により、ウイルスの新種が人間社会に入り込み、感染拡大・変異を行いながら取り付きます。最終的に、ウイルスに対する「抗体」を人間が体内に獲得しウイルスを抑え込むまで、感染症対策は強化されなければなりません。
日本国、岡山県、倉敷市など政府と地方自治体は、感染拡大者数を声高に言いながら、感染防止の検査及び治療体制は圧倒的に弱いまま事実上放置され、医療崩壊寸前の非常事態です。菅自公政権の無為無策・逆行に加え、地方自治体でも、伊原木岡山県知事の「ゴウトゥキャンペーン」上乗せ県費支出、伊東倉敷市長は、マスクの作り方を広報するだけで、対策本部を何カ月も開かなかったのです。地方自治体の長が、無為無策逆行の政権言いなりで、県民・市民にコロナ感染が急拡大するのは当然ではないでしょうか。
日本共産党県議団・市議団は緊急申入れを行い、「いつでもどこでも何回でも」PCR検査拡大による感染防止策(保護・治療)を強め、生活・営業直接支援の継続・拡充でいのち・暮らしを守る、取組み強化を求めました。政府や自治体がコロナ対策で言うことは「自助」ばかり、「感染防止こそ最大の経済対策」の立場で、行政として直ちに、非常事態態勢を組む必要があるのではないでしょうか。
豪雨災害は百年に一度の豪雨が原因とか言われますが、2018年、2019年と頻発しています。国土交通省も、堤防やダムだけでは水害軽減は出来ない「上流から下流まで全体的な流域治水を」と言い出しました。堤防を高くすれば洪水が無くなるのではなく、堤防決壊での被害は甚大化します。ダムも治水容量確保に失敗して放流被害を頻発させた上に、ダム管理者の刑事責任が問われていない、など、堤防・ダムによる「高水方式」河川政策は、大きな破綻に直面しています。
明治29年河川法制定により治水事業が「低水方式」から「高水方式」に転換され、日本の伝統的な治山治水思想が大きく歪曲され、「霞堤」「乗越堤」など水勢分散、遊水、分水などの伝統的技術も失われ、水路網が縦横に走る干拓水田が、道路敷及び宅地に転換された時、水路幅拡張又は代替池造りを行わず、アスファルト等不透水性地表面への置き換えが進み、「すぐ水が出る」内水氾濫が頻発しています。
欧州連合では、ライン川の氾濫原公園をオーストリアに造り、全流域の氾濫防止に役立てると共に、動植物保護など環境政策としても高い評価を受けています。山岳・高地を侵食し生まれた渓谷・河川が、平地・海域にぶつかった時、土砂堆積が発生します。ここに肥沃な農耕地が生まれ、豊富な表流水及び伏流水・地下水脈が形成されます。水路網及び無数の井戸を造って、これを利・活用したのが農業です。従って農業は、水と土を確保する本来の「治水」の上に成り立つ営みであり、堤防やダムを本来必要とはしません。しかし「渇水」を理由に農業用水ダムが構築されました。ところが、資本主義的収奪権である「水利権」を自然河川に強制したため「使いすぎ」渇水が起きました。1994年同じ気象条件下の旭川、吉井川流域に比べ水利権利用率が50%超えの高梁川流域が渇水・断水被害を出したのです。
2018年7月豪雨災害を再び起こさないためには、国土交通省が進める「緊急治水対策」だけでなく、高梁川(成羽川・小田川含む)流域治水が完結することが求められます。そのために「農業と水防を考える会」が具体的に取組むべき事柄を明らかにして行くことが求められます。
最近のコメント