西日本豪雨災害で河川・水路の氾濫が各地で広く発生しました。特に、雑木林化した川床の小田川と堤防、支流の弱体土手(道路が土手を切る「陸こう」部分の放置も)など、堤防・土手決壊で泥水が氾濫し、丘陵で囲まれた真備町域1200ha(町面積の約3割)が4m超の浸水を受け、一時5000万tに及ぶ泥水が覆いました。排水ポンプも使われましたが、泥水の退きが悪く2日位掛かったり、5日間滞留した所もあります。昭和51年豪雨災害で床下浸水が起きた時、1日経つと住宅地から水が退いたことがあり、田圃が遊水地の役割を果たしていました。
今回豪雨災害では、各地で内水氾濫が起きています。倉敷市でも、八ヵ郷用水等用水路及び六間川流域、備前樋用水等用水路及び倉敷川・吉岡川流域で内水氾濫が広く発生し、床下浸水がこれまでになく広がり、また、泥水の退きが悪くなっています。倉敷地区の用水路は酒津の配水池で流入を止めていますが、各用排水路に雨水が流入し溢れて内水氾濫を起こしています。児島湾締切堤防での干潮時ゲート開門で、田園地帯での水退きはスムーズですが、宅地化が進んだ地域で水退きが悪くなっています。宅地化で田圃の低地が減り、近く低地がなくなると共に、水退きが悪くなって、被害が増大します。バックウオーター(逆流)だけでなく、ストック・ウオーター(滞留水)も被害を増大させています。
小田川の、高梁川合流点を3Km下流に付替える工事が始まっています。バックウオーターが起きる場所を、現在の、西岸・倉敷市真備町と東岸・総社市清音から、西岸・倉敷市船穂町と東岸・倉敷市西阿知町へと付替えことになります。総社市湛井堰下流では、真備町・西岸と総社市東岸の各堤防を強化したことで高梁川の氾濫が減少しましたが、下流の倉敷市及び合流点で小田川へのバックウオーターを受ける真備町への水害危険度が増します。そこで100年前大正年間の高梁川大改修では、東高梁川(酒津・中島・五軒屋を流れていた)を閉鎖し、水江地区を掘削して河道をつくり西高梁川に一本化しました。小田川の船穂町柳井原の河道は閉鎖され、柳井原貯水池とされましたが、底に厚い礫層があり予定した程貯まりませんでした。
バックウオーター発生場所の下流移動で新たな懸念が出ています。小田川の柳井原新河道へのバックウオーターで水位がどれだけ上昇するのか、計算できていないのではないか、という点です。真備町1200ha浸水に対して、柳井原新河道は東西を丘陵に囲まれ面積は50ha程度。単純に考えると、真備町水位の何倍にも水位が高くなり、柳井原貯水池に掛かる新幹線鉄橋が、山陽自動車道より低い位置で通っており、もしも新幹線が浸水するようなことになれば大ごとです。真備町水害の原因をバックウオーターだとして、合流点下流付替えで工事を急いでいる国土交通省には、内水氾濫・堤防決壊・洪水の全体像が捉えられていないように思えてなりません。
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